拝観時間 09:00~17:00
拝観料 650円
(各種割引有)
(抹茶・お菓子付)
観音院庭園は、池泉観賞式庭園といわれ、書院から眺めるのが普通であるが、趣をかえて観音堂裏、竹薮の入口からも眺められるように工夫されている。
名勝指定庭園を紹介した名著より以下抜粋する。
「太閤ヶ平、本陣山などが連なる鳥取市東部を囲む丘陵地にあり、すぐれた環境に支えられた林泉庭園であって、書院の東面(正面)、すなわち山側にある。書院の正面に広い池をとり、対岸は山腹を築山或いは背景として利用している。池中左に長円形の低い島を浮かべ、亀頭、亀尾と見受けられる石を配して、亀島と称している。東部(書院・正面)対岸に低い滝の石を組み、水を落としてある。築山の中央部に樹木を植えない逆扇形の芝生地をとり、その中央上部に三組(二群一石)の石をさりげなく配しているのがいわゆる遠山の景であろうが、美しい意匠である。山上には山木の樹叢にして自然に育成してあるが、その却部から池畔にかけては刈込物を散植している。
亀島に対応する東南岸(書院正面右側)を出島として石を組んであるのが、鶴島と見られるほど明瞭には構成されていない。(中略)
寺院の庭ではあるが、立石によって仏像を象徴するなどのこともなく、石燈篭などの飾りも省き、むしろ明朗でわだかまりのない書院の池庭としての親近感がこの庭の魅力である。」
この様に日本の「名庭園」と絶賛されている。「当院由来記」によると、開基宣伝法印は、栗谷に寺地を与えられ、雲京山観音寺を建立し、その後栗谷の寺地は御用地となり、寛永16年頃(1639)上町の現在地に移り、観音院と改称した。東照宮(現在の樗谿神社)別当寺淳光院が建立された慶安3年(1650)頃までには諸堂も完成し、庭園もこの事業の一部として、作成されたものと推定される。地割(庭の設計)が特に優れ、江戸時代の代表的な名庭として、二条城二之丸庭園より2年早い、昭和12年12月、国(文部大臣)より名勝の指定を受けた。
昭和18年9月10日の鳥取大地震により護岸の石や石組みが崩落しており、昭和59年度から昭和62年度にかけて、大規模な保存修理が行われたが、それから二十余年の歳月を経て、築山に地割れができるなど、修理が必要な状況が生じた。平成18年1月には、境内・墓地を含む庭園の借景となる山域も追加指定され、平成20年度から平成25年度にかけて保存修理が行われ、作庭当時を思わせる庭園へと修復された。
(指定面積43,844,89㎡)