観音院縁起

永代供養 鳥取県 鳥取市 天台宗 観音院 観音院庭園
観音院 観音堂

 岡山の藩主池田忠雄公が寛永9年(1632)に亡くなると、嫡男光仲公が三歳で家督をついだが、徳川幕府の政策から因幡・伯耆の二州に国替された。ときに宇喜多興家、直家公の菩提寺であった、岡山・露月山・光珍寺四世宣伝法印は、光珍寺を弟子豪弁(後の観音院二世)に譲り、帰依僧として随伴を命じられ、城山に近い栗谷に寺地を与えられて、雲京山・観音院を興し、城山より出現した聖観世音菩薩の尊像を賜り本尊とした。その後栗谷の寺地はご用地となり、寛永16年頃(1639)上町の現在地に移り、補陀落山慈眼寺観音院と号した。
 光仲公はことのほか観音信仰に篤く、祈願所として庇護した。宝永6年(1709)二代藩主綱清公の代に藩の祈願所となり寺格の高い「八ケ寺」に列せられた。
 明治維新に藩の祈願所は廃せられたが、寺檀の協力、人々の信仰に支えられて現在にいたっている。